HOME

 

『帝国の条件 自由を育む秩序の原理』

弘文堂(2007年4月刊行)

橋本努

 

はじめに

 

 

もう一つの世界は可能である。善き帝国の世界が可能である。その世界を練り上げて、具体的なユートピアを描いてみること――これが本書の企てにほかならない。

二〇〇一年九月十一日のテロ事件、すなわちテロリストたちによるニューヨーク世界貿易センタービルの爆破が企てられたとき、私はニューヨークの自宅で朝食をとっていた。事件の約一年前から、私は客員研究員としてニューヨークに滞在していたのである。この事件を間近に経験した私は、その後約三ヶ月間つづいた炭疽菌事件の余波で文字通り「テロられる」ことになってしまった。以来私は恐怖に怯えながらも、世界秩序の問題に関心を寄せてきた。テロ事件の直後はニューヨークから発言し、約一年後に帰国した後には、主として思想的な問題について考察をすすめてきた。本書は、その思想的な考察をまとめたものである。二〇世紀前半の二人の思想家に託して言えば、私はシモーヌ・ヴェイユのように現状を理論化し、エルンスト・ブロッホのように希望を語りたいと願っている。本書は、崖っぷちから紡ぎ出されている。漠たる生の危機感から、私はある種の不可能性に賭けている。

表題にある「帝国の条件」には、二つの意味がある。一つには、こんにちの世界状況が、私たちの「生」と「未来」を否応なく条件づけているという認識である。帝国は、私たちの生き方を本質的に規定する条件ではないとしても、人々を世界規模の動態に巻き込むがゆえに、抗いがたい力としてある。帝国とは、御しがたい「生」の条件であり、またそこへ「生」が流れていくような方向として認識される。しかし他方で、現行の世界秩序は、他でもありうるのであって、そのオルタナティヴの探究は、私たちにさまざまな「善き帝国の秩序(=〈帝国〉)」を開示するであろう。人間は、その生のあり方を条件づけられた存在であるとして、ではいったい、人間はいかなる帝国秩序において善き生を育むことができるのだろうか。「帝国の条件」にこめられたもう一つの意味は、「善き生となりうる自由を育むための世界秩序」である。それは規範理論と社会政策の新たな構想によって、十全なイメージをもちうるであろう。貧しき生を避け、豊かな生を育むための世界条件とは何か。本書はそのオルタナティヴとなる世界を、具体的に探りたい。

「帝国の条件」とは、つまり、現実の帝国の構造であり、また、規範理念としての善き帝国の構想である。実はアダム・スミスにおいて、この二つの側面は密接に結びついていた。スミスは「公平無私の観察者」の視点から、現状把握と社会政策の両方を導き出している。例えばスミスは、イギリスによるアメリカ統治が儲からないとの観察から、植民地としてのアメリカを放棄することが「善き世界秩序」に適なうと主張している。この主張は、当時興隆していた市場経済の把握から、国益の新たな基準を通じて、理想の社会秩序を展望するものであった。もっともスミス流の「公平無私の観察者」の観点は、今日ではあまり役に立たない。例えば、公平無私の観察者は、二〇〇三年のイラク攻撃の是非をめぐって、決定的な判断を述べることができるであろうか。テロ事件やイラク攻撃において問題となるのは、長期的かつ冷静な利害判断よりも、むしろ「人間の根源悪」(アーレント)に対する態度であるだろう。アーレントにしたがえば、人間にとって根源的な悪とは、思考停止の状態である。例えば、テロリズムに打ち克つための自信過剰の勇気、あるいは、テロリズムの恐怖から免れようとする安心への願望は、いずれも思考停止の根源悪にほかならない。ところが現在、アメリカでは「勇気(好戦主義)」と「安心(セキュリティ強化)」への願望から、ますます大きな政府依存の感情が人々のあいだに生み出されている。こうした思考停止の根源悪に根ざす政府の膨張に対して、私たちはいかなるオルタナティヴを描くことができるのだろうか。

本書はこうした問題に対して、成長論的自由主義(自生化主義)という独自の視角から応じている。これまで私は、二書をもってこの思想理念を展開してきた。『自由の論法』ではハイエクとポパーを読みこむかたちで、『社会科学の人間学』ではウェーバーを読みこむかたちで。本書ではこの思想理念をさらに展開して、マルクスとハイエクの思想的融合から、新たな世界構想を企てている。以下に本書の内容を要約したい。

第一章「911事件以降の四つのイデオロギー」は、事件後の世界を理解するための導入として書かれている。事件後の四つのイデオロギーとは、@あらゆるテロ行為を全批判するブッシュ政権の見解、Aテロ行為の背景にある理由は全面的に正しいかもしれないとする反米左翼の見解、Bアメリカの市民社会の再興をもって応じる旧民主党系の見解、および、C軍備縮小と移民の受け入れを求めるラディカルな自由主義の見解、である。ここで私は最後の見解を支持しつつ、その可能性を探っている。長期的にみれば、イスラーム移民の歓待こそ、テロリズムの抑止につながるのではないか、というのが私の立論である。

第二章以降は、現状分析から新たな帝国の構想へ向けて、およそ四つのテーマについて論じている。「現実の帝国分析」、「帝国状況の思想分析」、「理想の帝国思想」、および、「オルタナティヴとなる帝国政策案」、である。これらのテーマにおいて、私はとりわけ思想的な諸問題に取り組んでいるが、最終的な構想は、具体的な世界経済秩序の青写真となっている。

では本書の四つのテーマについて、簡単に紹介してみよう。「現実の帝国分析」において私は、ネグリ/ハートの大著『帝国』とは別の仕方で「帝国」の諸現象を分析している。ネグリ/ハートの『帝国』は、テロ事件前に書かれたものであり、事件後の帝国現象を分析するには限界がある。現在の世界秩序を論じるためには、次の二つの事柄を見定める必要があるだろう。すなわち、アメリカ主導の世界秩序形成と、テロ組織がもつ帝国的意義である。第二章では、アメリカが「テロリズムの罠」によって、世界の秩序形成を主導せざるをえないこと、またそのようなアメリカの変容は、「ヘゲモニーを掘り崩す帝国」として現れることを指摘したい。第三章では、国際的なテロ組織「アルカイダ」の活動が、裏の帝国現象となっていること、またその出現は、最悪のポスト・モダニズムを意味することを、ドゥルーズ/ガタリの『千のプラトー』を手掛かりに分析したい。つづく第四章では、ネグリ/ハートの帝国論をさらに拡張しつつ、反帝国運動というものが、実は資本の論理の加速化を担うことになる、と論じている。言いかえれば、既存の資本の論理に対する抵抗は、新たな資本の論理の動因であり、それは、形成されつつある善き帝国秩序(〈帝国〉)の可能性を切り開くものである、と私は指摘している。

およそ以上の現状分析から、オルタナティヴとなる帝国秩序の「可能性」が示される。次に論じるのは、「帝国の思想状況の分析」である。現代社会において支配的な思想は、「ネオリベラリズム」と「新保守主義(ネオコン)」によって代表されよう。この二つの思想はいずれも、一国主義を超えたグローバルな構想をもっており、現代の帝国秩序を駆動する思想と呼ぶにふさわしい。ところが日本では、この二つの思想は十分に検討されないままに、安易な批判的言説が飛び交っている。本書ではこれらの思想の深部と向き合い、批判的な検討を加えたい。第五章「ネオリベラリズム論」では、批判の多くが結果としてネオリベラリズムに包摂されてしまうことを指摘しつつ、この思想を根本から批判するためには、「神義論の不可能性」という問題に向き合う必要がある、と論じている。第六章「新保守主義(ネオコン)論」では、新保守主義の全体像を把握した上で、その背後に構える二人の思想家、すなわち、ヒンメルファーブとシュトラウスの思想を検討する。とりわけシュトラウスについては、その公儀と秘儀、社会科学批判、中世イスラーム哲学の摂取などをめぐって、その思想がもつ危険性と可能性の両面を解明している。

 以上の二つの章が、帝国状況の思想分析である。この分析を踏まえた上で、今度は私の独自の観点から、「善き帝国秩序(〈帝国〉)」にふさわしい思想理念を紡ぎ出していく。本書の第七章と第八章は、成長論的自由主義ないし自生化主義の観点から、善き帝国秩序の思想を論じた中核部分である。第七章は、現在の帝国の形態、あるいは未来の〈帝国〉の理想形態が、「支配の正当性」(ウェーバー)をもたない非正当的秩序として現れること、積極的に言えば、「超越的普遍性なき秩序」として現れることを論じる。さらにそこから、「超保守主義」という新たな理念を用いて、善き帝国の秩序像を描いている。つづく第八章では、今度は人間像の観点から、善き帝国秩序について構想している。帝国や世界秩序の「担い手」というと、読者は「世界市民」や「コスモポリタン」といった人間像をイメージされるかもしれない。しかし本書において私は、ネグリ/ハートの「マルチチュード」論を読み替えつつ、さらにマルクスの観点を取り入れて、「全能人間の創造」を企てている。またそのような人間像の制度的条件として、「自生化主義」という理念を提示している。

 「超保守主義」、「全能人間」、そして「自生化主義」。これが本書で論じられる新たな思想理念である。これらの理念はあまりにも唐突で、グロテスクであるようにみえるかもしれない。しかし私は新たな思想理念の提起を通じて、最終的には善き世界の秩序構想へ向けて、具体的かつ魅力的な政策案を導きたいと考えている。新たな思想理念がなければ、数多にある可能的世界のなかから、理想の世界像を紡ぎだすことはできないであろう。本書の最後に私は、自らの思想理念から政策論的な含意を引き出すべく、〈帝国〉の青写真を描いている。第九章では、トービン税(為替取引税)の構想をハイエクの貨幣発行自由化案と融合させて、およそ五つの段階からなる政策のシナリオによって、世界貨幣を自生化するための制度構想を提案している。世界貨幣の生成は、世界民主主義の条件である。その条件に向けて、私は自生化主義の観点から、長期的な政策のシナリオを展望している。最後に第一〇章では、グローバルな正義を実現するための青写真として、「理想の関税構想」を提案している。まず規範理論の新たな試みとして、ロールズの正義論とは正反対の条件を想定した「グローバル・インプット論」を展開する。その上で、「グローバルに位置づけられた自我」という独自の観点から、世界大の配分的正義を展望する。さらにグローバル正義の具体的な構想として、私は、人間開発指標その他を用いた関税ルールをデザインしている。この構想は、関税率に関する新たな取り決めを通じて、諸国民の潜在能力を自生的に引き出すような制度を目指している。

 以上の二つの構想、すなわち「トービン税と世界貨幣の創出」、および「理想の関税構想」は、いずれも自生化主義の理念から導かれた政策案である。いずれも「善き帝国秩序」のための部分的な提案にすぎないが、しかしここで具体的なシナリオを提示することには、相応の意義があるだろう。グローバリゼーションに賛成する人も反対する人も、オルタナティヴとなる政策を論じることで、不毛な思想対立を超えることができるように思われるからである。善き世界秩序の夢が実現するための試金石は、具体的な政策論議にある。本書において私は、ユートピア的な政策を具体的に構想することによって、世界秩序の夢と想像力を次世代につなぎたい。